ペルシャ人とアラブ人の違いは?特徴や宗教は?顔は美人が多い? ペルシャと聞くと猫や絨毯などを想い浮かべがちですが、ペルシャ人については詳しく知らない方も多いと思います。今回はペルシャ人について、アラブ人の違いや、特徴や宗教、ペルシャ美人などについてもご説明します。
目次
ペルシャ人とは? ペルシャ人の居住地や言語とは?
(参考URL:http://parstoday.com/ja/radio/programs-i4105)
ペルシャ人は元々、アーリア民族に含まれる遊牧民でした。
ペルシャ人は同じ民族に含まれるメディア人やマンナイ人とともに、ウルミーエ湖辺りに住んでいました。
そして紀元前1000-2000年頃にイラン高原に移動して、そこで定住したのです。
紀元前550年頃、イラン高原南西部のアケメネス家のキュロス2世が、ペルシャ人の王国をつくりました。
このアケメネス朝はエジプトやバビロニアも併合して、西アジア全域に広がる大帝国となったのです。
世界初の広域王朝となったアケメネス朝は、ギリシャからエジプト、インドにまで広がりました。
現在の地図に当てはめてみると、非常に大きな国であったことがお分かりいただけると思います。
この国を支配していたのが、ペルシャ人です。
しかし、7世紀にアラビア人のイスラム教徒に征服されて、宗教も当時のゾロアスター教からイスラム教へ変わりました。
そして、9世紀頃には国民の半数がイスラム教徒になり、11世紀には9割ほどがイスラム教徒になりました。
ペルシャと呼ばれていた場所は、現在のイラン・イスラム共和国あたりです。
『ペルシャ』という名前は、ペルシャ人が移住したイラン高原西南のファルスという地方の名前に由来します。
しかし、ナショナリズムの運動が高まると、自分たちのことをアーリア人という意味の『イラン』と呼ぶべきだという考えが広まりました。
その結果、1935年3月21日以降、日本も呼び方をイランに変えたのです。
イランは古代ペルシャの文化や言語を維持しており、そのような国は中東では少数派です。
イランの公用語は今でもペルシャ語です。
ペルシャ語とはどんな言語なのでしょう?
ペルシャ語はアラビア語と似た言葉と思われがちなのですが、まったく違います。
言語学的に言うと、ペルシャ語はイタリア語やスペイン語、フランス語と同じグループに属する言語です。
アラビア語とは文法もまったく違います。
でも、ペルシャ語もアラビア文字を使います。
7世紀にアラビア人が侵攻してきた際に、古代ペルシャ語をアラビア文字で書くようになったからです。
違う言葉なのに同じ文字を使うというのは、中国語と日本語のような感じなのかもしれませんね。
ペルシャ人とアラブ人の違いとは?
そもそもアラブ人とはアラビア語を母語とする人のことです。
でも、すでにご紹介したようにペルシャ人はペルシャ語を話すので、アラブ人ではありません。
同じように、イランは『中東』の国ですが、ペルシャ語を話すペルシャ人が作った国なので『アラブ』の国ではないのです。
アラブ人は湾岸諸国やエジプトなどに暮らしていて、ペルシャ人とは、民族、言葉、文化が違います。
ペルシャ人はペルシャ文明を持つ民族で、アラブとは違うという自負心がとても強い民族です。
現在ではイスラム教を信じていますが、心の中では、ずっと昔から続く文明を受け継ぐ民族だという誇りを持っているのです。
ですから、ペルシャの言葉や文明が、アラブの言葉や文明に替わることはありませんでした。
ペルシャ人はイスラム教徒にはなりましたが、アラブ化はしなかったのですね。
ペルシャ人はどんな衣服を着ていたの?
(参考URL:https://www.aljazeera.com/indepth/opinion/2016/02/elections-iranian-women-demands-forgotten-160223074347892.html)
まずは、古代ペルシャ人の衣服を見てみましょう。
ササン朝ペルシャ時代の女性は肌を隠すべきとされていたので、長袖のチュニックを着て、その上にさらに上着を着ていました。
この上着は肩の上で結んだり、頭からかぶったりして着ていました。
また、肩の上や腕に美しいショールを垂らしていて、長さはスカートの下までありました。
女性が着るシャツには、袖の下や首の部分に縁取りがついているものもありました。
また、幾何学模様や花模様にデザインされた布も使われていました。
古くからオシャレにとても気を使っていたことが感じられますね。
特徴的なのは、女性も男性もズボンを履いていたことです。
一般女性や召使いは、丈の長いチュニックやズボンを履いていました。
ササン朝の王妃も青色のズボンを履いていたのです。
同じように、女性も男性と同じ革製のブーツを履いていました。
性別に関わらず同じようなアイテムを使用していたんですね。
現在のイランでは服装に関して、イスラム教の影響を受けた様々な規則があります。
まず男性については、過度に肌を出すことはよくないとされているので、半ズボンやタンクトップは着ません。
また、ネクタイも『西洋』の象徴とされているのでよくないとされています。
女性はチャドルという伝統的な衣服を身につけます。
チャドルは顔以外の身体全体をおおうマントのようなものです。
本来は黒のチャドルを着るのですが、最近では花柄や綺麗な色のチャドルを着る女性もいます。
就学年齢以上の女性は公共の場では髪の毛を隠し、長袖とひざ丈ぐらいのコートを着て身体の線を隠さなくてはなりません。
こうしたルールは外国人にも当てはまるので、イランへ行くときは気をつけましょう。
ペルシャ料理はどんな料理?
(参考URL:https://irantourismer.com/iranian-food-persian-food/)
ペルシャ料理は紀元前からあるとされており、非常に長い歴史を持つ料理です。
ペルシャ料理は時間をかけて調理されることが特徴的です。
スパイスやハーブを多く使いますが、辛いものは少なく、食べやすい料理です。
ペルシャ人は『ナン』というパンがとても好きです。
ナンと聞くとインド料理のイメージですが、イランにも様々な種類のナンがあります。
朝食にはナンを食べるので、多くの人が早朝にナン屋さんへ行き、焼きたてのナンを買います。
ナンはそのまま食べたり、はちみつ、生クリーム、クリームチーズ、ジャムなどをつけたりして食べます。
ほとんどがイスラム教徒なので、基本的に豚肉は食べません。
肉料理ではケバブが有名で、シチューなどの煮込み料理をよく食べます。
ペルシャ料理は野菜がふんだんに使われていて、ヘルシーな料理です。
豆や根菜類など、日本でも馴染みのある食材をよく使います。
また、ペルシャ人はナッツがとても好きです。
特にピスタチオは品質が高いことで有名です。
様々なナッツをそのまま食べたり、料理やお菓子に入れたりします。
ペルシャ人はフルーツもよく食べますが、日本とは違い、フルーツを肉料理や野菜料理に合わせて使います。
ザクロ、チキン、クルミを煮込んだ『フェセンジャン』というシチューのような家庭料理は有名です。
フルーツではザクロやイチジクがよく食べられますが、ペルシャ人はキュウリもフルーツとして扱います。
フルーツの盛り合わせにオレンジ、イチゴ、桃などと一緒にキュウリが入っていることもよくあるのです。
日本人が見たら、びっくりしてしまいそうです。
また、ドライフルーツやピクルスといった保存食も豊富です。
これはペルシャ人が遊牧民だったころ、移動しながら長い間保存できる食料が必要だったからです。
お米もよく食べますが、炊く時に油や塩、サフランなどを加えて味をつけます。
おこげもとても好まれます。
あまり日本人には馴染みのないペルシャ料理ですが、思いのほか日本人の口にも合いそうですね。
ペルシャ人の住まいの特徴とは?
(参考URL:https://www.travel-pictures-gallery.com/iran/tehran/tehran-0038.html)
ペルシャ人は元々、日本人のように靴を脱いで絨毯に座って、仕事をしたり食事をしたりしていました。
現在ではテーブルで食事をすることも多いのですが、基本的には床に敷いた絨毯などの上に座って食べます。
ペルシャ絨毯は日本でも有名ですよね?
ペルシャ絨毯の技術は古くから脈々と受け継がれてきたものです。
昔ペルシャ人は遊牧民だったので、テント生活で移動していた時に便利だったのです。
手織りのペルシャ絨毯は、製作するのに非常に時間がかかります。
日常使いするものだけでなく、豪華な美術品として扱われるものもあります。
現在ではペルシャ絨毯は、ペルシャ人が使用するだけではなく、周辺の国々、西洋、アメリカ、アジアなど世界中の建築物で使われています。
ペルシャ人の宗教とは?
(参考URL:http://parstoday.com/ja/radio/programs-i28290)
先ほど出てきたアケメネス朝では、人々はゾロアスター教という宗教を信仰していました。
ゾロアスター教は、紀元前6世紀頃、ペルシャ人の預言者ゾロアスターが始めました。
ゾロアスター教は火を神聖化していました。
ですので、拝火教と呼ばれることもあります。
ゾロアスター教は、7世紀頃にイスラム教徒に征服されたので、衰退してしまいました。
現在ではインドのムンバイ付近に信者がいて、パールシー教徒と呼ばれています。
現在のイランでは、イスラム教のシーア派が信仰されています。
イスラム教にも宗派があり、2つしかないわけではないのですが、おおまかに分けると『スンニ派』と『シーア派』に分かれます。
スンニ派とシーア派は、預言者ムハンマドのあとイスラム教の指導者をどのように決めるかという対立がもとで生まれました。
全世界にいるイスラム教徒のうち、87-90%がスンニ派、10-13%がシーア派です。
イランで信仰されているシーア派はとても少数派だということがお分かりいただけると思います。
ペルシャ人には美人が多い?
(参考URL:https://cyrustravel.com/photo-gallery/attachment/persian-woman/)
ペルシャ人女性はエキゾチックで、彫の深い顔として知られています。
その美しさの中でも特に際立つのが、ダークブラウンの瞳と髪の毛、色白の肌です。
どちらかというと白人のような顔をしています。
昔のペルシャの細密画には、眉毛のつながった女性がたくさん描かれていました。
眉毛をつなげるという化粧は、美女の条件だったのです。
今ではなかなか考えられないですよね?
ですので、今でもイランには美人が多いと言われます。
これは遺伝や環境が主な理由ですが、美容と運動にも気を使っているからです。
ところで、イランの女性は鼻と胸を整形する人が多いのですが、鼻を低くして胸を小さくします。
逆なのでは?と思う方も多いと思います。
これは元々ペルシャ人が、鼻と胸が大きすぎるのは見た目のバランスが悪いと考えていたからです。