ユダヤ人の迫害理由は?なぜ嫌われる?歴史年表でわかりやすく解説! ニュースでは迫害や紛争と結びつけて語られることが多いユダヤ人ですが、みなさんはその理由をきちんと理解していらっしゃるでしょうか? 今回はユダヤ人が迫害された理由や、なぜ嫌われるのかを、歴史年表も使って解説します!
目次
ユダヤ人とは? ユダヤ人の概要を解説!
ユダヤ人とは、ユダヤ教を信仰する人々のことです。
ヘブライ人と呼ばれることもあります。
ただ、民族問題や宗教問題があって、みんなが納得するユダヤ人の定義を決めるのは難しい状況です。
ユダヤ人の特徴は、宗教用語としてヘブライ語を使うことです。
ユダヤ人の歴史は約4千年前に、族長のアブラハム、その息子のイサクと孫のヤコブ(イスラエル)から始まりました。
ヤコブ(イスラエル)と12人の息子、その家族はエジプトへ移住しましたが、子孫は奴隷にされてしまいます。
彼らは400年もの間、隷属状態にありましたが、紀元前12-13世紀頃にイスラエルの民はモーセによって解放されました。
これが『出エジプト』です。
映画などで、海が割れてできた道を人々が歩くシーンは有名ですよね?
その後200年間は、イスラエルの民はイスラエルの地で暮らしました。
そして紀元前63年以降はローマに支配されて、70年にはローマにエルサレムを破壊されたので、ユダヤ人は各地に離散していきました。
19世紀末になると、ユダヤ人によってパレスチナを回復しようという『シオニズム運動』が起きました。
そして1948年にはイスラエルが建国されたのです。
イスラエルは今もよくニュースに出てくるのでお馴染みですね。
ユダヤ人が迫害された理由① キリスト教との関係
『ユダヤ人問題』という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
ユダヤ人問題とは、ユダヤ人への迫害や差別によって起きる政治や社会的な問題のことです。
でも、ユダヤ人が迫害される理由は1つではありません。
まずはユダヤ人とキリスト教との関係について見てみましょう。
キリスト教は、もともとユダヤ教の一派であるナザレ派というものとして始まりました。
しかし、このユダヤ教の性質はだんだんと失われていき、キリスト教はユダヤ教から離れていきました。
すると、キリスト教の中に反ユダヤ主義が生れていったのです。
そして379年にキリスト教がローマの国教になると、キリスト教徒とユダヤ教徒の溝は決定的なものになってしまいました。
ユダヤ人への迫害が行われたり、キリスト教への改宗が強要されたりしたのです。
中世初期にはユダヤ人への迫害はそれほど多くはなかったのですが、11世紀になると宗教的な理由の迫害が増えました。
ユダヤ人に対する差別法が作られたり、国外追放されたり、集団的な襲撃が行われたりしました。
同じ原点を持つ2つの宗教が対立してしまったのは、残念ですね。
ユダヤ人が迫害された理由② ユダヤ人の移住
ユダヤ人の移住も、ユダヤ人が迫害された理由の1つでした。
先ほども少し説明しましたが、紀元前70年にエルサレムが滅亡したあと、ユダヤ人は様々な場所へ移住していきました。
ユダヤ人は新たに定住した場所でその土地に元々いた人々と同じ生活をしたわけではなく、自分たちの宗教や習慣、生活スタイルを保ちました。
そのせいで、現地住民とユダヤ人との間に摩擦が生じてしまったのです。
ユダヤ人が迫害された理由③ 人種主義
様々な理由で迫害されていたユダヤ人ですが、18世紀になるとユダヤ人の解放が進みます。
1791年にはフランスで、1812年にはプロイセンで、それ以外にも各国でユダヤ人に完全な市民権が与えられました。
でも、19世紀になるとユダヤ人の解放とは逆に、新しい反ユダヤ主義が現れます。
新しい反ユダヤ主義というのは、人種主義的な反ユダヤ主義です。
ユダヤ人の金融力に、中産階級が憎悪や反感を持ったことが原因でした。
今でも、ユダヤ人にはお金持ちの人が多いという話をよく聞くと思います。
ユダヤ人の富が嫌われる理由の1つになってしまったのです。
第1次世界大戦が終わると、今度は反ユダヤ主義が反共産主義と結びつきます。
ロシア革命の指導者だったトロツキーなどがユダヤ人だったからです。
ユダヤ人は経済的に支配するだけではなくて、世界も支配するかもしれないと思われてしまったのですね。
最も恐ろしい反ユダヤ主義が、みなさんご存知のとおり、ナチスによるユダヤ人迫害です。
ナチスはユダヤ人そのものを悪だとして、民衆の不満の矛先を反ユダヤ主義に向けたのです。
ユダヤ人への商店に対するボイコット、ユダヤ人の公職からの追放、市民権の剥奪、大量逮捕、強制収容所への収容、虐殺などが行われました。
アウシュビッツやブッヘンワルトといった強制収容所では、600万人ものユダヤ人が虐殺されたのです。
これはナチスだけではありません。
ハンガリーやルーマニア、ポーランドでも、ユダヤ人は強制収容所へ送られました。
これは本当に恐ろしい、決して繰り返してはならないことですね。
新たなユダヤ人問題とは?
ユダヤ人に対する恐ろしい迫害が行われた第2次世界大戦のあと、ユダヤ人はイスラエルを建国しました。
しかし、これがまた新たな問題を生み出してしまったのです。
それは、イスラエルとアラブ人との対立です。
イスラエルが建国されたパレスチナという場所には、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の聖地があります。
ですから、これらの宗教を信じる人々にとって、パレスチナは特別な場所です。
ユダヤ人は19世紀以降、パレスチナにユダヤ人の国を建国しようという運動をしていました。
でも、その頃パレスチナにはもう1000年以上もアラブ人が住んでいたのです。
だから1948年にイスラエルが建国されると、アラブ人は反発しました。
アラブ人はずっとそこに住んでいたのですから、追い出されたと思いますよね。
そして、第1次中東戦争が起こり、多くのアラブ人難民が生れました。
現在でもパレスチナでは頻繁に武力衝突が起こり、緊張関係が続いています。
こうして、ユダヤ人とアラブ人の対立という新しい問題が現在も続いているのです。
ユダヤ人迫害の歴史を年表で確認しましょう!
ユダヤ人の迫害には、これまで見てきたような様々な理由があります。
ここでは、ユダヤ人迫害の主だった出来事を年表で見てみましょう。
379年
キリスト教がローマの国教となる。それに伴い、ユダヤ教徒は公職から追放される。
11世紀-13世紀
大規模な十字軍遠征が8回あり、ユダヤ人が虐殺される。
1479年-1492年
スペインでユダヤ人に対する宗教裁判が行われる。
拷問によって、キリスト教に強制的に改宗させられ、ユダヤ人の追放令が出される。
1555年
イタリアで、ユダヤ人を隔離地域に隔離する政策がとられる。
他のヨーロッパ諸国や北アフリカでも、同じような隔離地域が建設される。
1871年
ロシアでユダヤ人の大量虐殺が起きる。
1903年
ロシアで再びユダヤ人の大量虐殺が発生する。
1939年
ナチスにより、ホロコースト(ユダヤ人絶滅政策)が始まる。
「ユダヤ人である」というだけの理由で600万人が虐殺される。