アーリア人の特徴とは?身分制度やユダヤ/ゲルマン人との違いは?美人が多い民族?アーリア人ってどんな人たちなの、と思われるかもしれません。アーリアという国がないのでイメージが湧きにくいのではないでしょうか?今回はアーリア人の歴史や身分制度に与えた影響、外見の特徴などをご紹介します!
目次
アーリア人とは?アーリアという言葉の意味は?
(参照URL: https://www.eurocanadian.ca/2019/02/the-decline-and-fall-of-aryan.html)
アーリア人はインド=ヨーロッパ語系に属する民族の1つです。
もともとは中央アジアで遊牧生活を送っていましたが、その後、移動してイランとインドに定住しました。
アーリア人という名前は、ヒンドゥー教で使われるサンスクリット語の『アーリヤ』という言葉から来ています。
『アーリヤ』には『崇高』とか『名高い』という意味があります。
この名前の意味からも、古代アーリア人が自分たちにとても誇りを持っていたことが感じられます。
アーリア人の歴史とは?
中央アジアで遊牧生活を送っていたアーリア人ですが、だんだんと移動を開始します。
ですが、みんなが同じ所へ移動したわけではありません。
紀元前2千年頃、一部のアーリア人はアフガニスタンやインダス川上流の地方に入りました。
そこでインダス文明の人々に代わって、その文化を取り入れ、農業を始めて定住しました。
そして、中央アジアを通ってイラン高原に入ったアーリア人は、ペルシア文明を発展させました。
ちなみに、現在のイランという国の名前には『アーリアの国』という意味があります。
また、別のアーリアの人々は紀元前1千年頃にガンジス川の流域に入って、現在の北インドに定住しました。
この人々がインド文明を発展させていったのです。
アーリア人はインドの社会制度や宗教、文化などに大きな影響を与えました。
インドの人々は牛を神聖な動物と考えている、と聞いたことはありませんか?
実はこれもアーリア人の風習と関連があります。
アーリア人は牛を財産と考えていたので、牛を神聖なもの考えていたのです。
アーリア人とゲルマン人の違いとは?
ゲルマン人もアーリア人も同じインド=ヨーロッパ語族に属していますが、別の民族です。
これまで見てきたように、アーリア人はインドとイランに住むようになった民族です。
ゲルマン人は今の北西ヨーロッパに住むようになった民族です。
今の英語、オランダ語、スウェーデン語、デンマーク語、ドイツ語の元になったのがゲルマン人なのです。
アーリア人には美人が多い?
(参考URL:https://www.bbc.co.uk/programmes/b09b19y4)
アーリア人には美人で、スタイルが良い人が多いと言われています。
現在のアーリア人は様々な民族と混血しているので、その特徴を一概に言うことは難しいですが、特に特徴的なポイントを見てみましょう。
◆顔
二重の目、大きめの口、高い鼻が特徴です。
目鼻立ちがはっきりしていて、彫の深い顔をしています。
◆皮膚の色
基本的に色白です。
インドで暮らしているアーリア人も日焼けはしていても色白で、アーリア人ではないインドの人々と比べるとずいぶんと違います。
肌の質感はしっとりしている人が多いです。
◆目の色
昔のアーリア人は青い瞳をしていました。
現在でもヨーロッパや中東、中央アジアやインドで暮らしているアーリア人には、青い瞳の人が多くいます。
でも、他の人種と混ざり合い、青色以外の瞳を持つアーリア人も多いです。
◆髪の毛
昔のアーリア人にはウェットな質感の金髪の人々が多くいました。
現在では人種が混ざり合うことで、様々な髪の色をした人がいます。
◆体型
背が高く、手足の長い体型をしています。
小さな頭や、メリハリのあるボディーラインが特徴です。
しなやかなスタイルで、いわゆるモデル体型の人が多いのです。
アーリア人とスパイスの関係?
北インドに移住してきたアーリア人ですが、もともとそこにはドラヴィダ人が住んでいました。
ドラヴィダ人はアーリア人が入ってくると、インドの南西へと移っていきました。
アーリア人はドラヴィダ人のスパイスを使う食文化を受け入れました。
そして交易の範囲を広げると、東南アジアからのスパイスも取り入れました。
こうしてインドではたくさんのスパイスを使う料理が発展していったのです。
インドのカースト制度を作ったのはアーリア人?
現在のインドに定住したアーリア人は農業を始めて、人口も増えていきました。
そして、王を中心とした国家ができあがります。
そうすると本格的な階級制度もできあがりました。
階級制度は4つに分かれていました。
学問や宗教の司祭者階級『バラモン』、軍事や政治を行う武士/ 貴族階級『クシャトリヤ』、農業・商業・工業の庶民階級『ヴァイシャ』、隷属民階級『シュードラ』です。
その後、15世紀頃の大航海時代にインドにやってきたポルトガル人が、この階級制度のことを『カスタ』と呼びました。
これはボルトがル語で『家柄』とか『血統』という意味で、これがインドの『カースト』という言葉の元となったのです。
アーリア人と宗教の深い関係とは?
わたしたちが聞いたことがある宗教の中には、アーリア人の影響を受けているものがいくつかあります。
特にインドに入ったアーリア人と宗教には深い関係があります。
アーリア人は紀元前800年頃にバラモン教をつくりました。
さらにそのバラモン教から以下の新たな宗教が生れたのです。
・ヒンドゥー教
バラモン教から生まれた宗教で、様々な宗教の教えの影響を受けて成り立っています。
複数の神を信じる多神教です。
・仏教
こちらもバラモン教から影響を受けています。
仏教を開いたガウタマ=シッダールタは、はじめはバラモン教を信仰していました。
・ジャイナ教
仏教と同じころにできた宗教で、ヴァルダマーナが開きました。
他にも『梵我一如(ぼんがいちにょ)』という言葉や、魂が生まれ変わる『輪廻』という考えを聞いたことはありませんか?
これらの考えもアーリア人の影響を受けているのです。
アーリア人とナチスやユダヤ人との関連とは?
最初に見たように、アーリア人には『高貴な人』とか『優れた人』という意味があります。
この言葉の意味を、19世紀ごろにヨーロッパ諸国で起こった帝国主義は都合良く解釈しました。
どういうことかというと、ヒトラー率いるナチスドイツはゲルマン民族を真のアーリア人だ、ととらえたのです。
そして、自分たちは最も高い位の人種で、高貴なアーリア人の子孫だ、言ったのです。
そうすることで、全世界を植民地化することを正当化していきました。
そして徐々に、アーリア人が『白人』とか『ヨーロッパ人』という意味で使われるようになりました。
その当時、白人の中には自分たちは優れた人々であり、黒人や黄色人種、ユダヤ人などは自分たちよりも下、と考える人々がいました。
ドイツや北欧では『自分たちが最も純粋な人種』と考える人々も現れました。
こうした人々はアーリア人ではないユダヤ人やロマ人を酷く扱い、排除しようとしたのです。
このようにナチスドイツがアーリア人を定義したせいで、今ではアーリア人という言葉にネガティブな印象を持つ人も多いのです。